「トラウト・フライ・USA」
産報出版
1980年2月初版発行

バックパッキングなれそめ記

3. 『トラウト・フライ・USA』のころ(1982〜)

ソレは重要
 80年頃、アメリカで釣り経験のある人は、日本のフライ界においては大変にエライらしかった。雑誌でも「アメリカでは…」と書けば何でもOK、みたいなところがありましたし。タックルや釣りテクはもちろん、キャッチ&リリース含めた文化さえもアメリカ依存だったため、その空気や仕方なし、といったところでしょうか。筆者の山岸行輝氏は最近でも専門誌に寄稿されているのでご存じかと思いますが、学生期よりアメリカ在住です。つまり当時、日本のフライフィッシング・メディア界においては、無条件でとてつもなくエラかったワケです。
 であるのに『トラウト…』では日本を見下ろすスタンスでなく、それどころか日本ウケなんかまったく気にせず、バックパッキング・スタイルで楽しんだ釣りをただただ紹介しています。アメリカ人にもマイナー気味な河川を、ローカル釣具屋の店頭ボードのような手書き地図で示し、「この区間は大石多く、オモリたくさん用意すべし…」なんて具合に。こんなの99.9%の日本人に役立たないばかりか、ウンチク的にもイマイチ。でもこれが、実はよかった。世間に威張りを効かさないのが、いかにもバックパッカーらしいと感じたんですね。
 また当時のバックパッカー像は、経済活動(働くとか)や体制に縛られないのが美徳というか、ヒッピー的生き方をもって最上とすべし、みたいな空気が少々あったと思います。よって本場アメリカの本格派バックパッカー・山岸さんは、当然のように経済的生活基盤の安定を欠くオーラを放っておられました。本書発刊当時の雑誌原稿などでは、ソレを直接文字にされていたことも度々。日本でのソレは避けたいが、アメリカでのソレは逆にカッコイイ、と考えていた当方は「やっぱり山岸さんはサスガだな」とさらに惚れた次第です。

病気再発でアメリカへ
 そんな山岸さんは一時期ゴールデントラウトに入れ込んでおり、レポートを日本の雑誌に度々寄せてみえました。ゴールデントラウトはカットスロート亜種のようなマスで、山の上の方にのみ生息するとのこと。
 とはいっても実際の魚は、名称を除けば特別感はなく、写真で見る限り、少々黄色っぽいだけのカットスロートにしか見えません。日本で言うならば、山岳域やダム直下などの隔絶された場所で、ちょっと紋様が変わったイワナが釣れたりしますが、その中の黄色がかった一群に「キンイロ・イワナ」と名付けちゃった、という感じ? だからゴールデントラウトは、普通のカットスロートと簡単に交配するし、そのまま世代を継承していけるし、遺伝子的な差異もほとんど無い、のだそうです。
 ま、それはどうでもいいんですが、『トラウト…』やゴールデントラウトの記事を読んだのは高校生の頃であり、当時は自分がアメリカで釣りをするなんて思いもよらず、ただただ憧れ読むだけでした。
 時は流れて20代後半を迎えたころ、円高&チケット安の恩恵が当方レベルにまで及んだらしく、予想外にもそこそこ頻繁に海外へ行くようになっていました。
 あるとき次回の釣行計画を練るべくアメリカ地図を眺めていたところ、ふと「ゴールデントラウト」の文字が目に入ります(アメリカでは水域別ゲームフィッシュ記載の地図が売っている)。現在も定期的に発病する不治の病「バックパッカーなりたい病」が、このときはゴールデントラウトの名前が呼び水となってやっぱり再発。前年一緒にアメリカへ行った仲間をそそのかし、パックフレームを買わせ、キャンプ道具抱えアメリカへ。
 道路行き止まりから数時間歩いた湖をベースキャンプとして、皆にはそこで釣りをしてもらうことにして(その節は勝手で申し訳ありませんでした)、当方は一人で早朝からトレイルを歩き出します。ちなみに場所はワイオミング州・ウインドリバー・レンジの山上湖。

結論はめでたい、ということで
 しばらく歩いて森林地帯を抜け、パッと開けた景色が目に入った時、ふいに『バック…』『中部の…』『トラウト…』を読んで妄想したイメージ多数と、少年時代から重ねたヘンテコ・バックパッキング遍歴が、脳内にドーパミン(?)共々一気に現出、異常ハッピー状態に。一人なのに笑いで破顔を押さえられないし、荷物を背負っているのに走り出しそうになるし。
 そんなタイミングでふと見れば、子連れの大型ムース(ヘラジカ)を進行方向約100メートル先に発見。ムースは体重500kgあたりまえの大型獣で、気性が荒く、熊やバイソン同様危険であり、各種ガイドブックにもしつこいほど注意が記されています。当方も知識としては承知していましたが、極端な躁(そう)状態にあったゆえ、楽しさ勝ってずんずんムースに歩み寄ってしまいました。
 ムースは顔も身体も真っ黒、喜怒の表情が分かりにくいので、ヤギと同レベルかと一時的に勘違いしちゃったのでしょう。15メートルほどまで近づいたとき、とつぜん親ムースがこちらに猛進、寸でのところで我に返り、思わずパックフレームごと斜面を転げ落ちます。十数メートル転がり落ちたところで顔を上げたら、つい先ほど当方が立っていた場所で、ムースが地面を蹴りつつコッチを威嚇していました。
 結局かすり傷程度で助かったわけですが、当方の行動は、諸外国で問題を起こし国内で批判を浴びるお調子者の典型と言えるでしょう。
 ちなみに目的のゴールデントラウトですが、ムース危機後さらに4時間ほど歩くも、今度は熊撃ちハンター達と会い、「この先に単独で入ったら100%熊に食われる!」といわれ、すごすごと帰ることに。とはいえ帰り道中も、無念や後悔というよりは、「ワイオミングのウィルダネスでゴールデントラウトを目指すも、グリズリーベアの危険により断念する俺…」というのがなんだか格好良く、本人はかなり満足でした。
 ま、自分はそうとうにめでたいヤツという結論です。


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ワイルドライフの印象を、そのまま紙面に展開できることが山岸さんの強み・持ち味。
後年、雑誌「Flyfisherman」の日本語版(つり人社より発刊)のデレクションをしてみえたが、その際もまったく印象は変わっていなかった。